年貢を納める

京都で起きた小学生殺人遺棄事件に対して、ノー科学者の中野信子は「見ている方は、このニュースを見て得られるメリットって何かしらと思ってしまう」と話した(デイリー電子版)。

 

続けて、「メリットがあるんだとしたら、親が味方であるとは限らない場合、子供はどうやって逃げたらいいか、手段を教えるものであってほしい。動機の解明とか、そんな動機をもし持っている人がいたら、全員犯罪者になるのか。非常に出口が感じられない、つらく感じた」

 

コメントを抜き取っただけでは分かりにくいが、要するに「子連れで再婚したことに(必要以上の)関心を示すことは不快である」「それが事件の要因のひとつになるとは限らない」といいたいのである。

 

中室牧子は柳沢秀夫の引き立て役だが、中野信子もデーブ・スぺクターの露払い役として申し分ない。前置きが長く、ひとを小馬鹿にしたような作り笑いでボソボソと聞こえないほどの小声で語るさまは言語不明瞭意味不明瞭で、言語明瞭意味不明瞭の中室牧子を凌ぐ。

 

視聴者は興味・関心を抱くニュースなら、ダボハゼのごとくノンジャンルで本能的に見るのである。大谷もサナエも分け隔てがない。メリットデメリットなどを考慮して視聴する人は皆無である。これは得するこれは損する、と考えてテレビを見る人がどこにいる? 馬鹿を言うんじゃない。

 

中野は毎回、スタジオで空っぽの「ノー」を駆使して思いついたことを取りあえず単語にして口を開いている。話しているそばから東大出の「頭(ズ)ノー」が次の言葉を生み、口を開くようになっている、と中野の「ノー」は考える。この人のノーに「吟味」「推敲」はない。そうとでも考えなければ、日本一難しい入学試験をクリアした同じズノーが「ニュースを聞くメリット」などと思うはずがない。

 

中室と共通するが、少しばかり見栄えがいいからテレビに登場している。いわば芸能人としての立ち位置を期待されているのに、「このニュースをお届けする側に立っている者が言うべきではないかもしれないが」などと、ひとかどの口を叩く。

 

嫌われたくない、敵を作りたくないので、コメントの最後には必ず微笑む。毒にも薬にもならない話に終始するので、横にいるデーブは毎回、苦虫を嚙み潰している。