散らかし放題

無学な故元首相を「我が友」と呼ぶだけのことはある。テレビ局の記者で頭が良いと思わせる人は数少なく、取り上げるほどのこともないが、昼のワイドショーに出ているコメンテーターの発言は想像以上に感化させられる人が多い。それだけに、この人の散らかし放題発言は聞き捨てならないものがある。

 

特派員として世界各地を転々とし、取材を重ねた経験はある。中東や欧米とくにアジア圏での報道に自信を持っているように思えるが、第一線から離れて久しく各地の政治経済状況もその後変化していることを一顧だにしない。これがこの人の発言の特徴だ。ふたこと目には「私が昔取材したときには」とイチイチ付け加える。20年前の紛争を今もなお引きずっていることはあり得る。しかしたいがいは政治経済の体制は変貌している。

 

昔の取材経験を引き合いに出し、現状をサラッと語り、そのうえで「私たちはこれからも注視していかなくてはなりません。それが現代人の義務ですから」などとぶってみせる。まあ、散らかし放題の話で、隣で聞いている吉永みち子は半ば呆れたような表情を見せるのが常である。酷いときには、自分の話の接ぎ穂を失い、「でないと、そうですよね吉永さん」と助け船を求める始末である。

 

話の前後に脈絡や関連性がなく、思いついたことを並べ立ててはアッチの話コッチの話と司会者の問いに対する回答の呈をなさなくなる。支離滅裂、という表現がぴったり。この人のためにあるようなワードである。東南アジアの政争の話が特派員時代の体験談になり、アベソーリの回想を経て来るべき総選挙に話題が移る、といった案配である。

 

勤務していたテレビ局への出演だから、制作スタッフも気を使っているのが透けて見える。司会の大下容子も時折り、眉間に皺が寄り、この人何が言いたいのかしら、と困った顔をするから、是非注目してほしい。講演の仕事もあるようだが、聞いた後には何も残らないのは当然である。