付けるクスリ

この世にある全ての罵詈雑言を浴びせても、この男にはカエルの面に小便、暖簾に腕押しである。「云々」をでんでんと言い、募集と募るに違いがあると言い張るのだから、付けるクスリはない。何を言っても空しくなるだけだが、それにしてもあまりの無恥無能、無知蒙昧ぶりに改めて驚く。

 

ここまで来ると、見事というほかない。一方で、憐れを催す。政治的な信条のカケラもないのに親父の跡を継ぐことを宿命付けられた。結果が鮮明に表れるスポーツの世界ならば、こんな世襲は通用しない。長嶋一茂や野村克則が長嶋茂雄、野村克也になることはなかった。芸能の世界は、ままある。ここは政治と同様「評価」の世界だからだ。

 

 

考えてみれば、政治業界も周囲が「評価」して階段を上がっていく。いい加減なことを言っても誰も非難しないし、血筋や地盤があれば腐った大根でも売れる。「キミんところはおかしいねえ、かわいそうだねえ」などとほざくアソウタロウが総理になり、その後も大臣の椅子に座っているのだから、いい気なものである。

 

アベシンゾウは、劣等感に裏打ちされた優越感に浸っている。マイナスから出発しているので、減点されても何の痛痒も感じない。漢字の読み方を間違えても、意味を知らなかったことも、秘書のせいにしていることも、ヘッチャラである。元々、劣っているところから出発しているのだから、どれだけ劣化していても全体が腐っているのだから、腐りようがない。

 

それを平気で食べて腹も下さないのが投票する人々というわけだ。自信満々なワケである。