会見にはシニア記者を

「政権そのものが関与したわけではない。別問題だ」

さすがに、それは通らないだろう。事件に関与していた当時は内閣副大臣。内閣と政権が違うと強弁できると考えているとしたら、老害以外の何物でもない。

 

「俺は俺は」の財務大臣は品性下劣だが、この人も桜を見る会への追及に対して「何がいけないのか」と開き直った発言をして問題に火をつけた。言葉が生み出す影響度合いについて、感度が著しく低い。後期高齢者のまたその先に位置するこうした長老(と呼ばれる資格があるかはともかく、年齢表現として)は、良い意味でも悪い意味でも政界の荒波にもまれてきたのに、発言の節々に年輪を感じさせない。

 

 

 

このほどなくなった中曽根氏は、良かれ悪しかれ一家言あった。政治家としての素養は、政治家になる以前からの教養や育ちが色濃く投影される。この頃は素行不良で育ちも悪く、他党に敬意を示さない不寛容な人が政治家に向いているのだろう(ちなみに「のだろう」、というフレーズは首相が好んで使う)。

 

思うに、政治家(政治屋が正しいが)に対する会見の質問は、シニアのベテラン記者が担当すべきである。日頃の取材はきついから若手らが束にかかってやればいいが、会見の席上では、相手と年齢的に近しい記者がやれば、こうも人を見下した態度を取らなくなるはずだ。なにせ、官房長官も財務相も幹事長も、番記者とねんごろになっているのはもちろんだが、記者らが人間としての厚みに著しく欠けており、彼らから見下されている。若いので馬鹿にされているのだ。

 

編集委員、論説委員長などとふんぞり返らず、会見の席で偉そうにしたほうがしい。退職したOBの中にも、まだ十分働ける記者がいるはずだ。60代はまだまだ現役記者として取材もできる人材は少なくない。OBでなくともよい。これからシニア記者を募り、少しばかりは教育をして傲慢政治屋にぶつけるがいい。さすがに、後期高齢者が前期高齢者に向かって「俺」とは言うまい。万が一それを言ったら、一喝すればいいのだ。